プロフィール

kudou/versus/sae

Author:kudou/versus/sae
工藤宏幸とは
1990年12月1日生まれのいて座
血液型AB型

彼の特徴は
かなりシャイ、お調子者、孤高の一匹狼、第二の西川貴教、スロッター界のオペラ座の怪人(アナザーゴッドハーデス実践している最中に雪野香苗さんからつけられたあだ名にされたとのこと)、パチプロアーティスト、パチプロ新撰組が誇るステルス戦闘機(北原英里さんから命名)、バイクの走り屋(本人曰く普通自動車運転免許を持っていないため川島千影さんから言われたとのこと)

趣味はパチンコ、パチスロ、麻雀、競馬、ゲーム
(パチプロ新撰組のリーダー)

ラブドールオーナーとして史上初の馬主(ただし一口馬主を持っています。)

麻雀のスタイルは、強引な副露からの裸単騎作戦・相手の警戒心を完全無視して即座にリーチ・一色の傾向が強ければ強引に混一色もしくは清一色のどれかにスイッチする・リーチで狙われたら現物で逃げて当たり牌をブロックする。通称 工藤ワールドスペシャル

主にゲームアプリはダービースタリオンマスターズ、六本木サディスティックナイト、スクールガールストライカーズ、パチスロバーサスや花火やクランキーセレブ、沖ドキシリーズなど多種多様なゲームも行っております。

ラブドールのオーナー歴は今年で5年目です

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紗英さんのネタは、どうでもいい話ですが
実は私自身3回目の血液検査を受ける羽目になりました。
(そのうち2回は健康診断で異常は見つからなかったが、外科医の医療の検査で結果が出ています。)

血液検査3回目の結果
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まずは異常値が目立ったのは、WBC=白血球の数が基準より高く  化学検査でCRP=C反応性蛋白が基準値の26倍に引っ掛かりました。

WBCの白血球数値の標準は男性で4000~8500
数値を超えると急性骨髄性白血病などの病気の可能性があります。
受けた結果が10万の数値になりました。


CRPのC反応性蛋白の基準値は0.3を超えてはならない
最も怖くインフルエンザウイルスなどのウイルス、血中にあらわれてくる蛋白と肺炎球菌のC多糖体に結合されるためこの名前が付けられています。
受けた結果が7.8の数値で、基準値の26倍になり、最悪敗血症などの病気も考えられます。



異常に気付いたのは3週間前に建設現場で隙間から落ちてそのまま放置して、ありとあらゆる荒療治でやってみたのですが、やはり改善せず
極めつけは紗英さんが衣類を着替えているときに右側の膝が思うように腫れて、歩行がままならないということを受けて再検査まで受けました。
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高山紗英「すっかり妹さんの赤ちゃん、半年になるわね。あたしも叔母さんだから、泣かせないようにしますわ。」

工藤「私だっておじさんだから、笑いのネタを散策してはいるけど、ウケがいまいちだからな・・・」

高山紗英「そうなのかしら?あたしはおもろいんだけど?」

工藤「確かにわかるけど、ネタが尽きたら考えられなくなるね。」

高山紗英「まあね。ちなみにエマって漢字表記は?」

工藤「何をいまさら?エマの由来は笑顔に舞うことから笑舞と表記していますよ。」

高山紗英「ヘンテコなキラキラネームですわ!いずれ学校で呼び出すときに、こんな漢字表記の名前が出ると教師たちは読みづらくなるのでは?」

工藤「そりゃあ困惑はするよ。たまに番組のドキュメンタリーでも使われました。」


私だったら結婚願望はないものの、いずれ結婚して子供ができたときに、キラキラネームは使うべきではありません。
自分はヘンテコなネームは一番ダメで、まともな名前が欲しいものです。まあ・・・ ほかの人に決めるのも悪くはないが・・・

妹の出産報告

7月11日に私の妹が出産しました。

名前はエマ なんかパチスロメーカー名と勘違いしておりますが、ここは勘弁してください・・・
ちなみにエマは海外でも使われる名前の一つです。とくにアメリカやフランス、イギリスなど世界各国でも使われる名前だとのこと

とは言っても私は26にして叔父さんとなり、子育てに加えて、高山紗英さんの関係もバランスよく行わないと!
ここだけの話、私事で申し訳ありませんが
先月、私の父親の祖母がお亡くなりになりました。(2017年4月11日午前9時40分永眠・享年90)
天寿を全うした私の祖母であり、引っ越して24年間は孫のようにかわいがられ、社会人としてお土産を渡すなどお元気に過ごされました。
亡くなる2年前に施設へ預け気を遣うこともありました。最後は苦しむことなく安らかに永眠いたしました。

葬式では、その意思を継ぐべく焼香しましたが自分自身は悲しまずただ単に精神状態が憔悴しきれないまま、最後に花を添えることとなり、火葬のお骨上げでは説明の途中に気色が悪くなり火葬場の外に行きショックを隠せませんでした。

葬式後の納骨ではまだ憔悴が残ったまま行い、いち早く帰って高山紗英さんの話についていきました。
高山紗英さん本人はお骨上げに関してはしていないとのことで、紗英さん曰く理科室の人体模型の骸骨が怖く亡骸を見ては避難するわ、紗英さんが中学時代にお骨上げはしたものの、竹箸の持ち方が極端に震えてしまい、その場で倒れてしまいました。
それ以来葬式のことになると、来場せず香典と清書したメモだけ私が代行として会場に持っていくこととなりました。

自分も悲しいことですがその意思を継ぐことにしました。
もともと高山紗英さんの出身地は群馬県渋川市出身で群馬の方言あるいは秋葉原のメイドカフェ勤務は東京の方言を使い分けていましたが、私のふるさと佐賀になると今度は両親や友人まで佐賀弁が多く私自身は佐賀出身だがなぜか使わず関西弁しか話さないことが、高山紗英さんが一番悩ませることになります。そこで千葉時代で少しでも九州の方言はできるだけ使用せずに雪野香苗さんの方言が関西弁を教えてもらうことになり、暑い夏場に私の自宅に高山紗英さんと雪野香苗さんとともに来ました
だが両親が佐賀弁で高山紗英さんはわからず慣れ親しんだ関東の方言も通じずどうすればいいのかストレスとの戦いで自分自身も頭を悩ませました。
ちょうど彼と親交の深い北原英里さんが同じ九州の福岡県出身で英里さんも佐賀弁や福岡方言でなく関西弁よりに話しており紗英さんにとっては大きなプラス素材で約1か月後、私と同じく関西弁を使うことになりました

ただ関東の方言を使うこともあるけど

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